MANIFESTO

芸術表現全般にとって、今日ほどテクノロジーと密接に関わって表現されている作品が多い時代はなく、その表現内容が半ば前提条件的にテクノロジカル・パフォーマンスの下にある例も少なくない。音響表現では特にその点が顕著で、録音・再生技術の発達によりその多くがオーディオというテクノロジーを前提として表現されている。オーディオの発達によってもたらされた様々な恩恵を高く評価する一方で、音響表現というコンテンツを可動させるハードウェアが依然「ステレオタイプ」であるという印象は拭いきれない。元来ハードウェアとは、社会にその規格を定着させる戦略性をもつものだ。それによって音響表現自体もその規格の下で通説化されつつあるというのは、決して過言ではないだろう。少なくとも数多くの音響表現の背景にある現状を見つめた時に、音響ハードウェアにはそのポテンシャルがある事を痛感させられる。こうしたハードウェアからコンテンツに対する働きかけ、言わば多くの恩恵と共にもたらされる通説化を促す力を「ハードウェア・セオリー」と定義付け、音響表現の新たな可能性をコンテンツだけではなくハードウェアの視点からも見つめ直す。立体音響はその過程で見出したものであり、この活動に携わる動機となったメソッドである。 既存の音響ハードウェアでは達成し得ない音響を、身体性と結びつけて表現する事で更なる音のダイナミズムを引き出し、「空間」に働きかける事。同時に作品空間に成立する「共同体」に働きかけ、そこに多元的・流動的な視点とコミュニケーションをもち込む事。それらを総じて[「場」の歪曲]というテーマとして見据えて、作品として結実させる。それが私の活動の概要である。この活動で展開される表現分野は多岐にわたる。パフォーマンス、インスタレーションなど、作品に応じて活動内容はそうした境界を横断する。しかし如何なる場合であれ、その作品の根底には[「場」の歪曲]というテーマがある。

私が制作の中でとりわけ重要視しているのは、音響と人との椄面、そのテクノロジーとしてのインターフェイスの設計だ。[「場」の歪曲]というテーマの中にある「身体性」とは、音響と人との関わり合いから共鳴的に発展する相互の躍動性を指す。それを保証するのが、他ならぬインターフェイスだ。とはいえここで最も注意しなければならないのは、主にハードウェアに実装されるインターフェイスの新たなスタンダードを目指す事は、同時に新たな「ハードウェア・セオリー」の発現に繋がりかねないという事。インターフェイスの善し悪しとは、程度の差以上の決定的な答えをもたない。評価は、それを操作する人間の知覚同様アナログなのだ。通説化を強固に否定する芸術分野において、インターフェイスには常に変化と前進が求められる。人と表現の間に介在するインターフェイスのあり方次第で、その関わり方が変わってくることを知っているのだ。

私が制作する作品はコンテンツ、その外殻であるハードウェア、そしてそのハードウェアの外部との椄面であるインターフェイス、それぞれの要素の適合性に細心の注意を払いつつ、大胆な音響表現を目指すものである。音とはそれ自体が空間と同化しつつ振動を起こし、その実相を劇的に変化させる現象だ。その空間に人の知覚と意識が介入する時、どの様な相互作用が起こり得るか。私の挑戦とは音、空間(環境)、そして人のそれぞれの間の関係性を極限までダイナミックに展開させる事である。

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